うつな私の記録

私の治療記

あっという間に3か月の休職経過

投稿が止まってましたが

久々に投稿です。

 

気付けば前回の投稿より2か月経過しておりました。。。

休職して3か月になります。

 

~この2か月の出来事~

・毎月休職願いの申請

・簡単な日記の作成

 →スケジュール帳に思ったことをひたすら書く

・週2回の通院(心療内科

 →病院を変え、1人の先生がカウンセリングと診断をしてくれるところに

・友人と会うことを心がける

 →連続3日以上続くと疲れて寝込む

・休職していることを徐々に打ち解け、平日日中も行動

 (以前は業務時間は家にこもり夜出かけていた)

・暇さえあれば映画、ドラマ鑑賞

 →無意識に選ぶものは精神疾患や病気系が多い。。

・嫌な夢をよく見る

 →彼が夢診断のサイトを解説してくれる。。。w

・一日のルーティンの定着

 →am6:00起床、ご飯の用意、洗濯、掃除、ベッドメイキング

・できる勉強の開始

 →ネットのまとめ情報を参考にノートにまとめる

  ※多くの情報からの要点抽出が衰えたままなのでそのリハビリを兼ね

・結婚式場の決定、準備開始

 

 

1か月半ほどは日に日に元気になってる実感がありいろいろ行動しましたが

数週間前、疲れてきたな~と思った矢先39度の熱、、、

20時間後には解熱と体がついていきませんでした、、、

その後1週間寝込むという、、、

 

精神状態が不安になってから3度目くらいのこの症状

きっと、疲れると熱を出す体質なんだと思います。

 

 

そして、3か月の休職期間が過ぎるタイミングなので

医師より、今後どうするか決めようといわれ考え続けました

(これがストレスになったのか、夢をよくみるようになりました)

 

医師には「会社は辞めます」と伝えました

 

理由は、働いてた期間

・良かったと思ったことがない

・辞めることに未練がない

・幸せなのは休職してからだった

 →就職先は不幸になる気がしている

 

今後の仕事についてはまだ決めていませんが

今後も数か月休職し、どのように生活するのか考えます

・お金の勉強(税金、保険、生活費、給与の算出等)

・やりたい事/できそうなことを見つける

 

医師より言われたこと

★人生で一番大切な事

・家族

・健康

最近友達に言われること。

最近、徐々に休んでいる自分が受け入れられるようになり

友人とも少しずつ会うようになりました。

 

会った人の中で自律神経失調症になったことのある2人に

言われた第一声がとても記憶に残っています。

 

「お疲れ様。頑張っていたんだね」

 

この言葉を聞いて、私は

頑張ったとこなんてあったっけ?と思ってしまいました。

 

これを素直に受け入れられるようになれば一歩前進なのかなと思いますが

もう少し時間がかかりそうです。

 

そして、その2人には

休めるだけ休んだ方が良いよと

 

ゆっくり休もうと思います。

 

 

そんな中

最近体の不調が新たに出てきました

・めまい、立ち眩み

・眠りが浅い、途中覚醒→朝すっきり起きれない

・人混みが怖い

 

最近人と会って話してたため

疲れてきたのでしょうか?

いままで普通にできていたことができなくなる

そんな恐怖を感じています。

波のある日々

最初の診断にて2週間休むことに。

そこから、病院に通っていったものの

復活までには至らず、追加で休職することになりました。

 

日常生活に支障はないですし

最近は、友人と飲みに行くことも。

 

ただ、以前は純粋に飲んで楽しんでだったのに

その後の疲れを強く感じる気がします。

 

家族は、見た目は何もかわらず

こうやって友人と会うことから会社に戻れと言います。

それが私にとっては涙の元になっているようです。

 

そんなこともあり、知り合いの仕事を手伝うことになりました。

不定期に数時間の手伝いですが

疲れやすくなったなと思います。

 

そして、無意識にでも疲れると

イライラしてしまいます。

 

癇癪起こしたり、普段通りだったり

自分でもおかしいなとおもいつつ

受け入れなければと思います。

 

そして、最近何より物忘れが激しくなっている気がします

・買い物に行って、何を買うべきか思い出せない

・人と会ってたことを忘れている

・行きつけの店の場所に悩む

・いつもやっていた料理で、次何していいか迷う

 

病院の先生に伝えたところ

自己防衛のために忘れるってことをしているんですよ

病気のせいです

と。

 

こんなんで普段の生活ができるのか心配になります。。。

ホワイト企業

今回は、私の就職した会社について記載したいと思います。

 

私の”適応障害”と診断された原因でもあるようです。

 

就職活動中(大学時代)、以下を重視し会社を決めました。

・好きな事より、できること

・ある程度の規模の会社(福利厚生、給料の保証がある)

・風通しの良い、社内コミュニケーションが十分と感じられる

・長く働けそうな会社

 

幸運にも、上記を満たす会社に就職できました。

志望していた営業職(BtoB)に配属されました。

 

会社の方針で

・1.5か月の全体研修

・半年間は試用期間

・1年間は指導員付き

 

半年頃までは、ブラック企業とは無縁の会社に入れてよかった!

バリバリ働くんだろうな~と思っていました。

 

自由度の高い会社と転職組や、他者の人から聞きました。

これが私にとって裏目に出たんだと思います。

 

試用期間が取れた時期から

続々と退職、部署移動する人が増え

新人の私にしわ寄せが来ました。

 

そのくらいの時期から

指導員への不安が大きくなってきました。

・頼りがいのなさ

 -通常3年ほどで指導側になるんですが、私の指導員は10年目で初めて。

  会社の人からは、「あいつ大丈夫か~?」って声ばかり。不信感となりました

・私が提案したことを否定し、自分のやり方をするように助言

 結果、失敗し「あのときこうしとけばよかったね~」と。

 私の提案だったらそれ防げたのになと思うことも多々

・流れが何もわからない

 -単発でしか教えてくれず、流れが知りたいと何回もお願いしましたが

  やってるうち覚えるよと、そのまま流されていました

・自分の担当顧客よりも、指導員の手伝いが業務の大半以上となっていた

 -自分の顧客は、指導員がいろいろやってくれてましたが。。。

  結局新規の顧客で自分が成績残したんですよとアピールしたいのかと

・何事も正解がわからないまま

 

仕事の右も左もわからない私が

指導員の元、あらゆることをこなす必要が出てきました。

できない仕事ではなかったです。

周りの人に聞けば教えてくれる、人に恵まれた環境だったので。

 

しかし、なにをこなすにも

指導員の元では自分がちゃんとできているのか全く自信がもてないまま

数か月が経ちました。

 

その時には

・家で泣くのは当たり前

 -会社のトイレでも泣いていました

・集中できず、頻繁に離席

・資料のケアレスミス記載の増加

 

「自分ってなにやってんだろ?働き始めて何を身に着けたんだろう?」

 

ホワイト企業が良いと言われていますが

私は、入社はある程度のブラック企業があっていたのかもしれません。

多少辛い環境であっても、人と自分への自信がつけば

仕事を続け、今後の目標もみつかったかもしれないと

 

たらればですが。

婚約者、家族と話、結果私はもう少し厳しい会社に行けばよかったねと

 

必ずしも

自由に、ゆる~くやれる会社がいいとは言えないと思います。

 

就活性に戻れるなら

ほんとにやりたかったこと

チャレンジをしなさい!と助言したいです。

診断結果

初めて心療内科にかかってから1週間ほどたって

 

初めてのカウンセリングと共に、診断結果を知りました。

 

結果、”適応障害”と診断されました。

症状はうつと似ており、大きな違いは要因が明確であり

それを除けば元気であるとのことです。

 

たしかに、仕事から離れ、仕事のことを考えなければ

私は今まで通りに近い状態です。

 

家族にも報告したところ、

「うつじゃなくてよかった」

と言われましたが、症状はまだ治っていないし

容赦なく仕事復帰について話してくるので

また、ブルーになり泣き出してしまいました。

 

病院では

診断書を作ってもらいました。

休職となり、欠勤扱いにならないようにとおもい。

しかし、初診~休み始めた私は

過去にさかのぼって診断書の作成はできないといわれ

1週間は有給扱いとなるそうです。

これを知っていれば

初診から、次の診断まで時間置くことなく診断書受け取っていたのに。。。

 

診断の上、現状落ち着いている

かつ、薬の服用をしていないことより

2週間の休職と記載していただきました。

通院は続けて、今後の状態により、延長するか決めましょうとのことでした。

※薬の副作用がひどく、のみ続けれなかったというのが本音ですが

 

早速、人事に連絡しました。

休みの承諾、部への連携を依頼しました。

しかし、診断書に復帰時期が記載してあるため

復帰に関する連絡が続々と来ており、

今の私はまた、前の状態に戻っている感じがします。

 

・不安感

・胸のぞわぞわ

・心臓のバクバク

・めまい

・食欲減退/何たべてもおいしく感じない

・集中力の欠如

・自分で決断が下せない

 -会社へのメールも一人ではできない状態です

・何にも関心が起きない

 

こんな状態で復帰できるなんて思えません。

療養しつつ、今後も考えなきゃとはおもうものの。。。

育ちより分析する私の性格

わたしは、

やるせないきもち、悲しさ、虚しさ、無

になる度、ネットで”うつ”に関連するサイトを見ています。

 

そこで得た情報にヒントをもらい

自分なりに考えた、私の性格について書きたいと思います。

 

 そう思ったきっかけは

これは、心療内科の先生と話してて気づいたことですが

「貴方は、いい子でいなきゃ、頑張って超えなきゃ、と考えちゃうのね」

この言葉のおかげで、潜在的にそう思うようになってしまったんだと自覚しました。

そして、なんでそうなったんだろう?と思ったからです。

 

両親、妹弟のいる家庭に育ちました。

 

知り合いの人に言わせてみれば

父・・・役人(お堅いイメージ)

母・・・大学教授(博学なイメージ)

威厳のある/まじめな家庭に感じるといっていました。

※あくまでイメージとしてとらえてください

 

特に私の育った環境はとても恵まれていたと思います

都会にしか住んだこと無く

3分に1本電車が来る環境でも、隣駅までの移動は常に車移動。

私立の学校にも通わせてもらい、生活に不自由はありませんでした。

幼少期の身近な友達もみんなそんな環境です。生活水準が高かったとおもいます。

むしろ、私よりもっと良い環境で育った人たちの中で生活していた気がします。

それが普通だと思っていました。

 

小さいとき、私は

両親に離婚してほしいと思っていた時期がありました。

父はカッとなる事が多く、母親はなだめるように

「はい、はい」と従うことがありました。

そんな環境下私は、荒波立てないように部屋に籠ることを覚えました。

 

カッとなる要因は様々です

・部屋が散らかっている(机に物が置いてあるだけでもダメ)

・成績が悪い(平均より上じゃないとダメ)

・お風呂に入ったり、寝るのが遅い

 -中学生まで21時頃就寝

・習い事に”いきたくない”と伝えたとき

 

成績は常に中の上

大学では学科100人のうち常に10位以内でした。

父親の趣味のスポーツも幼稚園~やっていました。私の意志なのか不明です。

非行なんて無縁でした。

 

加えて、転勤族だったため小学校は3校通い

その経験により幸いにも人見知りな性格はなくなったと思います。

ただ、今思えばそれが”周りに気を使ってしまう”にもつながったんだと思います。

 

この2つの出来事より以下が無意識に身に付いたんだと思います。

・両親の前、特に父親の前ではいい子でいなきゃいけない

・新しい環境でもうまくやっていくため、周りを気にする

 

今、こうやって書けていますが

実際、”あなたはどんな性格?どんな子?”と聞かれたとき

ぱっと答えられませんでした。

就活とか、表向き用はありましたが本当の私って?ってなってしまいました。

 

貴方は答えられますか?

自信をもって、本当の自分の性格を

 

 

冷静に考えられるようになった今

自分の性格、性格を構築した環境によって

うつという病に大いに関わっているんだと分かりました。

それゆえ理解されがたい病なんだなと。

だって、私の本当の性格をしっている人なんてごく一部

 

今回、分かったのは

・私の両親は私の性格を十分に理解していなかった

うつだと報告した際、

私たちの子がうつになるわけない/そんなのすぐ治るよ/甘えだ そういわれました。

 

・幸いにも婚約者が一番の理解者であり、そばにいてくれたから治療につながった

ということ。

家族との懸け橋になってくれ、理解のない親に説明してくれています。

 

本当にありがたい事です。

私は恵まれていたと思います。

そして、甘える環境があるなら申し訳ないけど思う存分甘えようと思います。

 

心療内科での初診

心療内科

 

私の中で、行っては負けだと思っていました。

弱い、メンヘラ、精神異常者といったようなマイナスイメージを強くもっており

今まで断固として行かないと自分の中で決めていました。

 

ここで、もし

知り合いでうつっぽいな。おかしい感じがする。辛そう。と

心当たりある人がいて、この記事を読んでくださっているなら

病院への予約など、手配をしてあげることをオススメします。

(万人に良い結果が出るとは保証できませんが。。。)

 

私は予約し、付き添ってくれた人がいたことで救われた気がしています。

※人気のクリニックは予約いっぱいな事があるとのことで

 状況を考え、今すぐ行く必要がある場合は懲りずに他を探すことをオススメします。

 

 

心療内科に行くと、初診だったため問診票を書きました

<内容>(覚えている項目のみ↓)

・症状

・いつ頃からか

・心当たりある出来事

・個人情報(名前、生年月日、出身)

 

あとは、診察と別にカウンセリングを希望するか

 

 

待合室は、20歳前後の人が多く見受けられました。

見た目は元気そうだったり、特別何かを感じることの無い病院の待合室でした。

 

事前に電話予約したものの、30分ほど待機した気がします。

 

先生に呼ばれ部屋に入ると

記録係の方と先生が居ました。

 

問診票を基に診察が始まりました。

 

先生と話し始めてすぐ、何か楽になった気がしました。

おそらく、自分の中で”自分はおかしい”ということを受け入れられたんだと思います。

そして、涙がひたすら流れました。

 

私の心当たりある出来事は

・会社

・生活の変化

 

と記載したため

会社のこと

生活について話した気がします。(泣いていてあまり覚えていませんが)

 

この2つについては改めて別記事に書こうと思います。

 

問診も終盤

先生から

「仕事は続けたい?休みたい?」

と聞かれました。

 

休みたいのは山々ですが、

今後の復帰、転職を考えると今休むことはできないと考えていました。

その旨を伝えると

先生は

「できるなら、もう仕事を休み休んだ方が良い状態です。」

そういわれました。

 

幸いにも、会社は比較的休みを自由に取れるので

適宜休みを取ることを伝え会社は続けることに決めました。

 

今より楽な状態で生活を続けるため薬を処方されました

抗うつ剤…毎日飲み続ける。効果が出るのは2~3週間後とのこと

睡眠薬…寝れないとき

・安定剤…不安になったり、異常時に

 

これから私は薬に頼ってしまうんだという感覚も覚えましたが

これで楽になるなら!と前向きにとらえることができました。

ただ、アルコールの制限がかかるのがネックですが。。。

睡眠薬、安定剤服用、前日~当日アルコールNGとのこと)

 

>数日抗うつ剤を服用した今

>副作用なのか、途中覚醒(夜中に何回も目覚め、眠りが浅い状態)を

>起こすようになったため、病院に確認し、服用を中止することにしました

 

また、薬の服用にあたり血液検査の必要がありました。

定期的に状態をチェックするとのことです。

 

最後に、心理テストを行うことの説明を受け

診察室を後にしました。

 

 

ざっとまとめると、心療内科の診察室では以下の4つが行われました。

・問診票を基にしたヒアリング

・薬の処方

・血液検査の説明

・心理テストの説明

 

待合室に戻り、

心理テストを行うことに。

・今の気持ちや、状況についての選択式心理テスト

・イラストを書く心理テスト(お題に沿った絵を描きました)

 

 

次回は1週間後カウンセリングと問診です。