うつな私の記録

私の治療記

育ちより分析する私の性格

わたしは、

やるせないきもち、悲しさ、虚しさ、無

になる度、ネットで”うつ”に関連するサイトを見ています。

 

そこで得た情報にヒントをもらい

自分なりに考えた、私の性格について書きたいと思います。

 

 そう思ったきっかけは

これは、心療内科の先生と話してて気づいたことですが

「貴方は、いい子でいなきゃ、頑張って超えなきゃ、と考えちゃうのね」

この言葉のおかげで、潜在的にそう思うようになってしまったんだと自覚しました。

そして、なんでそうなったんだろう?と思ったからです。

 

両親、妹弟のいる家庭に育ちました。

 

知り合いの人に言わせてみれば

父・・・役人(お堅いイメージ)

母・・・大学教授(博学なイメージ)

威厳のある/まじめな家庭に感じるといっていました。

※あくまでイメージとしてとらえてください

 

特に私の育った環境はとても恵まれていたと思います

都会にしか住んだこと無く

3分に1本電車が来る環境でも、隣駅までの移動は常に車移動。

私立の学校にも通わせてもらい、生活に不自由はありませんでした。

幼少期の身近な友達もみんなそんな環境です。生活水準が高かったとおもいます。

むしろ、私よりもっと良い環境で育った人たちの中で生活していた気がします。

それが普通だと思っていました。

 

小さいとき、私は

両親に離婚してほしいと思っていた時期がありました。

父はカッとなる事が多く、母親はなだめるように

「はい、はい」と従うことがありました。

そんな環境下私は、荒波立てないように部屋に籠ることを覚えました。

 

カッとなる要因は様々です

・部屋が散らかっている(机に物が置いてあるだけでもダメ)

・成績が悪い(平均より上じゃないとダメ)

・お風呂に入ったり、寝るのが遅い

 -中学生まで21時頃就寝

・習い事に”いきたくない”と伝えたとき

 

成績は常に中の上

大学では学科100人のうち常に10位以内でした。

父親の趣味のスポーツも幼稚園~やっていました。私の意志なのか不明です。

非行なんて無縁でした。

 

加えて、転勤族だったため小学校は3校通い

その経験により幸いにも人見知りな性格はなくなったと思います。

ただ、今思えばそれが”周りに気を使ってしまう”にもつながったんだと思います。

 

この2つの出来事より以下が無意識に身に付いたんだと思います。

・両親の前、特に父親の前ではいい子でいなきゃいけない

・新しい環境でもうまくやっていくため、周りを気にする

 

今、こうやって書けていますが

実際、”あなたはどんな性格?どんな子?”と聞かれたとき

ぱっと答えられませんでした。

就活とか、表向き用はありましたが本当の私って?ってなってしまいました。

 

貴方は答えられますか?

自信をもって、本当の自分の性格を

 

 

冷静に考えられるようになった今

自分の性格、性格を構築した環境によって

うつという病に大いに関わっているんだと分かりました。

それゆえ理解されがたい病なんだなと。

だって、私の本当の性格をしっている人なんてごく一部

 

今回、分かったのは

・私の両親は私の性格を十分に理解していなかった

うつだと報告した際、

私たちの子がうつになるわけない/そんなのすぐ治るよ/甘えだ そういわれました。

 

・幸いにも婚約者が一番の理解者であり、そばにいてくれたから治療につながった

ということ。

家族との懸け橋になってくれ、理解のない親に説明してくれています。

 

本当にありがたい事です。

私は恵まれていたと思います。

そして、甘える環境があるなら申し訳ないけど思う存分甘えようと思います。