うつな私の記録

私の治療記

ホワイト企業

今回は、私の就職した会社について記載したいと思います。

 

私の”適応障害”と診断された原因でもあるようです。

 

就職活動中(大学時代)、以下を重視し会社を決めました。

・好きな事より、できること

・ある程度の規模の会社(福利厚生、給料の保証がある)

・風通しの良い、社内コミュニケーションが十分と感じられる

・長く働けそうな会社

 

幸運にも、上記を満たす会社に就職できました。

志望していた営業職(BtoB)に配属されました。

 

会社の方針で

・1.5か月の全体研修

・半年間は試用期間

・1年間は指導員付き

 

半年頃までは、ブラック企業とは無縁の会社に入れてよかった!

バリバリ働くんだろうな~と思っていました。

 

自由度の高い会社と転職組や、他者の人から聞きました。

これが私にとって裏目に出たんだと思います。

 

試用期間が取れた時期から

続々と退職、部署移動する人が増え

新人の私にしわ寄せが来ました。

 

そのくらいの時期から

指導員への不安が大きくなってきました。

・頼りがいのなさ

 -通常3年ほどで指導側になるんですが、私の指導員は10年目で初めて。

  会社の人からは、「あいつ大丈夫か~?」って声ばかり。不信感となりました

・私が提案したことを否定し、自分のやり方をするように助言

 結果、失敗し「あのときこうしとけばよかったね~」と。

 私の提案だったらそれ防げたのになと思うことも多々

・流れが何もわからない

 -単発でしか教えてくれず、流れが知りたいと何回もお願いしましたが

  やってるうち覚えるよと、そのまま流されていました

・自分の担当顧客よりも、指導員の手伝いが業務の大半以上となっていた

 -自分の顧客は、指導員がいろいろやってくれてましたが。。。

  結局新規の顧客で自分が成績残したんですよとアピールしたいのかと

・何事も正解がわからないまま

 

仕事の右も左もわからない私が

指導員の元、あらゆることをこなす必要が出てきました。

できない仕事ではなかったです。

周りの人に聞けば教えてくれる、人に恵まれた環境だったので。

 

しかし、なにをこなすにも

指導員の元では自分がちゃんとできているのか全く自信がもてないまま

数か月が経ちました。

 

その時には

・家で泣くのは当たり前

 -会社のトイレでも泣いていました

・集中できず、頻繁に離席

・資料のケアレスミス記載の増加

 

「自分ってなにやってんだろ?働き始めて何を身に着けたんだろう?」

 

ホワイト企業が良いと言われていますが

私は、入社はある程度のブラック企業があっていたのかもしれません。

多少辛い環境であっても、人と自分への自信がつけば

仕事を続け、今後の目標もみつかったかもしれないと

 

たらればですが。

婚約者、家族と話、結果私はもう少し厳しい会社に行けばよかったねと

 

必ずしも

自由に、ゆる~くやれる会社がいいとは言えないと思います。

 

就活性に戻れるなら

ほんとにやりたかったこと

チャレンジをしなさい!と助言したいです。